江戸名所図会(えどめいしょずえ)は今を遡ること約百八十年前の江戸天保年間(1830年頃)に刊行されました。その中に江戸時代の當山を描いたものがこの「高田八幡宮其の二」で有ります。
この図会にもございますように神社境内に観音堂、本地堂(阿弥陀堂)が在り、当時の日本仏教の神仏習合(神仏の区別なく一緒にお祀りすること)の特徴がうかがえます。
明治の廃仏毀釈以前は当山住職が放生寺と穴八幡宮の一山を治め徳川将軍家とも親交厚く、付近一帯は放生寺門前町と呼ばれておりました。
平成の世になり穴八幡宮も當山も建物が新しくなり往昔の面影が失われていく中で唯一江戸時代の資料がこの江戸名所図会であります。